Date: 2019-02-16
Tags: 葬儀

「時間はいのちである」

小学校の恩師、渡部豊彦先生の葬儀に行ってきた。

新聞で気づいた母からの連絡。65歳、胃がんのため...。早すぎると思うと同時に、卒業以来1度しか会いに行っていなかった事を思いだした。葬儀に駆けつけるより前に、一度挨拶にお伺いしたかった。

弔辞からは、先生が当時から多くの活動を行ってきて、多くの人に影響を与えただろうことがよく分かった。

葬儀のあと、小学校の卒業アルバムを引っ張り出してみていたら、先生が書かれたメッセージがあった。

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時間はいのちである -- 6の1担任 渡部豊彦

◆私たちは何年生きていても、どんなに忙しくしていても、もし心に感じなかったら、その時間はないのと同じことになるだろう。心に感じる時間とは、その間に何かがあって、自分が生きていることを実感することのできる時間のこと。「時を心に刻む」のは、心にのこる充実した時間をもてるように心がけていくこと。

◆私たちの人生において、そういう時間はそんなにしょっちゅうはないし、またそれほど長くつづくわけでもない。だが、その人の人生において、わずかな一瞬でも三分でも、自分の心にのこる充実した時間を持てる人は、それまでとはちがう人生を送ることができるようになるだろう。

◆三十分よりも長い三分があり、三分よりも短い三時間がある。それが私たちの人生だと思う。出会いとして心にのこる出来事は、時間にしてほんの数秒の出来事であるのに、それがどうかすると一生を左右することにもなりかねない。その場合は、わずか数秒が何十年よりも長いということになる。

◆出戸小で暮らした時間の中で、そういう「心に感じる時間」が持て、「時を心に刻む」ことができたか。…………………………。でも、それはもう過ぎてしまったこと。

◆これからの天中での暮らしの中で、三年間よりも長い三分の時を心に刻み、それを繰り返し積み重ねすすんでほしい。

◆時間はいのちである。

とても力強い文章。小学生にはすこし難しい気もするけど、思い返してみると、戦争の歴史をこどもたちに伝えるための活動など、難しいことに正面から取り組んでいた先生だった。

このメッセージのことは今日まで30年間、すっかり忘れていた。いま、このメッセージを読むと、限られた時間を何にどのくらい使って行くのか、充実した時を過ごせるかどうかは自分自身にかかっているのだと改めて感じさせられる。高校までの学校生活の中で豊彦先生のことはとてもよく覚えている。先生もまた、「時を心に刻む」行動を通して、私の記憶に強い印象を残してくれたのだと思う。

豊彦先生のご冥福をお祈りします。